◇能登町に行ってきました。その2
到着したのは、2次調査が行われる対象の家屋調査の現場。そこまでの道にも、倒壊家屋が沢山ありました。対象の家屋は、1次調査の結果が、半壊か全壊かの微妙なラインだったようです。調査をされていたのは、他県からの派遣で来られていたお二方で6県から計24名、12チーム1週間ずつで能登町入りされているとの事。外回りを調査後、家の中の調査にも同行させていただきました(約1時間)。家の中に入ると、地震の凄まじさがわかります。1階には、広い客間がありました。あばれ祭りの際にお食事を用意して親戚の方など振る舞うそうで、ここには沢山の方との思い出がおありになるのだろうな・・・家の2階にいた時に地震が発生。窓の外を見ると近所の家がつぶれて煙が上がったのが見えたそう。次は自分だと思ったそうです・・・壮絶な現場でした。鈴木議員は罹災証明システムについて熱心に質問されていました。
そこから能登町議会の酒元議員に被災現場をご案内いただきました。酒元議員は能登町議会唯一の女性議員で、とってもパワフルな方でした。町内の皆さんの事を把握されているのでは?と思うくらい、行くところ行くところ、皆さんにお声がけし、困りごとを聞くと、「ここに連絡してみて。こういう支援があるから!」と説明。常に町民の皆さんに寄り添った活動をされてきた方なのだなと本当に感動すると共に、私もこういう議員でありたいと思いました。
途中で仮設住宅も見学させていただく事が出来ました。
親夫婦(要介護)、息子夫婦の4人家族の方でバリアフリーの仮設住宅だったのですが・・・バリアフリー過ぎて!仕切りがすべてカーテン・・・。介護が必要な義父母が、夜中に何回もトイレにいくので気になって寝られない事、お嫁さんがお風呂やトイレに入っている時にカーテンをあけてくる事がある事などを聞きました。
自宅は津波の被害を受けていて、もう戻れない。息子さんは海の仕事をしていたので、これからどうなるかわからない。2年後には仮設住宅を出なければいけない。もうどうしたらいいんですか!
私も今年の1月に義母を亡くしましたが、もし自宅で見ていて、一緒に避難所に行く事になったら、どうなっていたのだろう・・・と思いました。福祉避難所はありますが、そこには介護士さんがいる訳ではないので、誰かが一緒にいてお世話をすることになります。これまで避難所開設訓練の際の講話の中で、【情報】としてはお伝えしていましたが、なんと薄っぺらい講話をしてしまっていたのか・・・実際に被災地に行って見ないとわからない事が沢山あるという事がわかりました。
避難所にも、仮設住宅にも配慮が必要である事を訴えていきたいと思います。
つづく